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沖縄県警察部長

荒井 退造あらい たいぞう

1900年栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現:宇都宮高校)、高千穂高等商業学校(現:高千穂大学)に進学、後に明治大学夜間部を卒業、同年内務省に入省。1943年沖縄県警察部長に就任。

沖縄が戦場となる危機が迫るなか、戦況を楽観視していたため疎開政策に消極的だった当時の知事に代わり、県民の疎開・保護に尽力した。

島田叡が沖縄県知事着任後は二人三脚で奔走し、1945年3月までに県民7万3000人の県外疎開に成功。米軍上陸により県外疎開が不可能となった状況でも島田知事とともに合わせて延べ20万人の命を救ったとされる。最期は島田知事と摩文仁の森へ向かった後、消息を断つ。今日まで、その遺体は発見されていない。享年44歳。

滝の原精神の真髄を受け継ぐ

荒井は宇都宮市出身。旧制宇都宮中学校(現宇都宮高校)を卒業後、苦学して高等文官試験に合格。内務省官僚として警察の要職を歴任した。昭和18年7月、沖縄県警察部長に就任。国文学者で宇都宮高校の校長を務めた笹川臨風氏が「滝の原精神」というものを教え、それを受け継いだと言われている。平成28年3月26日には宇都宮高等学校同窓会より歴史的友好の記念として「荒井杯」が沖縄県高等学校野球連盟に贈呈されている。

滝の原主義の碑
荒井杯

栃木県内外で顕彰化の動き

宇都宮市の郷土史研究家・塚田保美(昭和24・25年宇都宮高校卒)さんの寄稿から荒井退造の顕彰の動きは栃木県内に広がった。2016年11月、NPO法人菜の花街道荒井退造顕彰事業実行委員会により宇都宮市上籠谷町の生家の庭に顕彰碑が設置された。その翌年には、母校である宇都宮高校で荒井の生家までの新春ランニングが始まり、同年6月には県教育委員会が初めて県立高校向けの資料集に荒井退造を取り上げた。荒井退造に関する講演やパネル展は栃木県外でも実施されている。

生家前の顕彰碑
県立高向け資料集